小学4年生のクラスは、年間コンクール入賞者が、学年最多数となった。
一番多かったのは結果としてで、これなら多くなって当然という実情がある。
B先生の教え振りである。
コンクールが近づくと、事前に、それらしい問題を教わる。
B先生の場合、表現は悪いがミエミエで次のコンクール問題と分かった。
実際、ほぼその問題が出た。
なにも直前対策しなかった3学年のとき(A先生)とは大きく違っていた。
直前対策に事情があった。
問題は、当時手書きガリ版時代で、先生が共同、あるいは分担して手作りであった。
問題の作者として、他のクラス担任の先生の名前ごと、問題を事前に教わることもあった。
実はその作者の先生が自作したのでなく、その先生が持っている問題集から抜き出し採用された問題であることまで知ることがあった。その先生のクラスの皆ができる。他のクラスは引き離されまいと力を入れ○○先生の問題として学年全部が取り組むようなことも起きた。
世間に問題集など普及していない時代だったが、先生によって、種々持っていた。
算数の応用問題で、具体的な問題内容は忘れてしまったが、解き方を理解するのに皆てこずったことがあった。B先生は例によって熱心に教える。が、なかなか皆が完全にならない。
別の時間にまた教わった。二度で私は理解できたが、まだ大勢が分かりきらない。
とうとう直前対策が5回ほどとなった。4回目以後は放課後に残って何度も同じ問題を数字だけ入れ替えてやっていた。私は2回で充分で、この放課後の特訓には参加せず、さっさと帰宅したのだが、ともかくこんな努力があって我がクラスのコンクール年間表彰者はトップとなった。
こんなことだけと考えるとB先生の努力振りを、その場のつじつま合わせのように考えてしまい値打ちを認めなくなってしまうが、私が今、感じている評価は違う。いずれ掲載しよう。
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われわれは、ゆとりカリキュラム世代であった。
当時そんな言葉がなかった。実態はゆとりカリキュラムだった。
算数で、
九九は三年生の一学期に教わった。親たちは自分たちのむかしは2年生のとき教わったと言っていた。
ただし授業時間数は減ったとは思われない。
先生によっては、少しはユニークな教育ができていたようだ。
われらのB先生は、ローマ字であった。一時期、国語のローマ字化提唱がされたという。まだ名残りがあった。
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